マスキングテープを剥がすときが“最高の楽しみ”
前回は、自分の好きな1色を塗るところまででした。今回からは、いよいよ“色の塗り分け”となります。まず全体を600番のペーパーでざっと水研ぎします。軽くで良いです。ほこりや小さなゴミを取り除くだけなので。


前回は、自分の好きな1色を塗るところまででした。今回からは、いよいよ“色の塗り分け”となります。まず全体を600番のペーパーでざっと水研ぎします。軽くで良いです。ほこりや小さなゴミを取り除くだけなので。

お正月気分もようやく抜けて、さぁ今年も“良い加減で”頑張るぞ、と社会復帰に勤しむ今日この頃。みなさんもお正月の連休を利用してツーリングを堪能したり...

ワタシがかつて難関中の難関だった自動2輪の限定解除に見事合格したのが1982年の事。とにかくすぐにナナハンに乗りたくて、取得当日に福生のバイク店でヤマハのGX750を購入したのですが…

日本でも、英国とほぼ同時期の50年代にロッカーズの時代があった。完成間もない横浜バイパス(別名ワンマン道路。吉田首相が官邸に行かれるために作った道路)に英国製のモーターサイクルやメグロK-1の試作車が集まり、深夜に街道レースが行なわれていた。

前回は、サフェーサーを塗ってたっぷりと乾燥時間をとりました。ここからは、色を塗る工程へと進んでいきます。まずは220番のペーパーでの水研ぎです。大きなストロークで、あまり力を入れずに研ぎます。

モーターサイクルを題材にした映画は、日本の草刈氏が熱演した『汚れた英雄』(原作を読むべし!)、アウトローものの代表格マーロン・ブランド主演の『ワイルドワン』...

16歳で原付バイクの免許を取得して始まったワタシのバイク人生。取るまではそれほどバイクに興味があったワケではなく、まわりの友人達が取りはじめたのでなんとなく自分も行っとこっかな?、という程度の気持ちで府中の運転免許試験場に向かったのが正直なところでした

ロッカーズは、『第1章 ROCKERS! 心を揺さぶるロッカーズ魂』で記したように、スピードに取りつかれた若者達で、闇夜に公道でレースを繰り広げる社会からのはみ出し者だった。

僕がデイトナに惚れ込んだ経緯は前回のコラムでも触れたが、人やモノとの出逢いには“縁”という深遠な事柄が絡み合っていると常々思っている。「それは、いくら何でもこじつけ過ぎなんじゃない?」と、思われてしまうかも知れない。

今回からは、お手軽にできるカスタムを紹介しましょう。クラシックレンジのモデルをよりクラシカルにするには、1950?60年代のトライアンフの写真集などを参考にすると良いでしょう。

トライアンフを購入した1982年当時は、今と違ってバイクに乗る人がすごく多くて、各地で行われていた大小様々なレースはどこも満員御礼状態。もちろんバイク人口の平均年齢も今よりは確実に低かったはず。

そういった彼らを対象に、チューニングショップは、最強のトライアンフ・エンジンを当時、最も優れていたノートンのフェザーベッド・フレームに搭載した。これがトライトンの始まりで、1954年のことである。

1960年代、鎌倉山の実家の御近所に、福澤諭吉氏の曾孫にしてトップレーサーの福澤幸男氏が住まわれていた。そんな福澤氏の姿を見かける度に“レーサーになりたい”というぼんやりとしたイメージが僕の心に芽生え始めた。

ワタシの家にトライアンフがやって来たのは1982年、年も押し迫った12月の事でした。その年にようやく2輪の大型免許を7回目のチャレンジで取得(当時は試験所での...

リーゼント・ヘアにはブリルクリームをべったり塗り、ピンバッジで埋まった黒い革ジャンに流行(はや)りのブルージーンズ。この出で立ちでキメ込んだのが“ロッカーズ”だ。

トライアンフのラインナップには、クラシック、クルーザー、アドベンチャー、ロードスター、スーパースポーツ、ツーリングなどがありますが、トライアンフの大きな柱となっている“クラッシックレンジ”についてお話ししようと思います。
