VIRGIN TRIUMPH | T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.03 小沢 和之さんのコラム

T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.03

  • 掲載日/2014年12月12日
  • 写真・文/小沢 和之(ライター)

小沢和之さんのコラム画像

16歳で原付バイクの免許を取得して始まったワタシのバイク人生。取るまではそれほどバイクに興味があったワケではなく、まわりの友人達が取りはじめたのでなんとなく自分も行っとこっかな?、という程度の気持ちで府中の運転免許試験場に向かったのが正直なところでした(ホントは2輪よりも4輪に乗りたくて仕方が無かったのです)。

しかし免許取得と同時に乗り始めたバイクの面白さは、当時の小沢少年のライフスタイルに風穴を開けるべく、ズイズイ心と体の奥底に入り込んで行ったのでした。ちょうどその時代は暴走族問題やらなんやらでバイクの免許制度が変わり、自動2輪が小型、中型、大型に分かれた時期でもあったのです。ワタシの場合は先ず原チャ、その1年後に中免を取得して、ヤマハGX250を改造に継ぐ改造をほどこし、長らく乗っていたのです。

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友達も皆バイクに乗っていましたが、周りに“チョッパーユーザー”はおらず、ちょっと浮いた存在だったかも知れません。けど友人達とのチョイ乗りやツーリングなどにも頻繁に出かけていて、異端児扱いはされていなかったと思います(たぶん)。そんなアメリカンチョッパー好きだった中免時代から5年後の21歳の時に大型免許を取得、その年に2台の大型バイクを立て続けに購入した2台目のバイクが、今でも家にあるボンネビル(1982年型T140)の新車だったわけです。

ホント、長?い付き合いです。トラを買ってからは中免時代夢中になっていたアメリカン熱はなりを潜めて、オーウェンやクロムウェルのオワンキャップをかぶり、ゴーグルをして、冬ならボマージャケットにデニム、足元にはブーツを履いて走っていました。

ただ、この時も中免アメリカン時代と同じように、トライアンフに乗る友人は皆無で、またまた周りからはちょいと浮いた存在だったかもしれません。さらにワタシのトラはボンネビルでも750ccだった事から、旧車が集まるイベントに出かけても同じ車種に乗っている人に出くわす事はほとんどありませんでした。「トラは別体!ワンテンかT120が偉い!」みたいな時代だったのです(今でもかな?)。でも今考えたら、当時ワタシのトラは新車だったから、旧車イベントに行ったって仲間がいるわけないですね。

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当時の旧車イベントの最高峰と言えば、何と言っても毎年10月10日に筑波サーキットで開催されていた『タイムトンネル』でした。1978年に10数台のビンテージバイクでスタートしたこのイベントは、瞬く間にその規模が拡大し、全盛期にはパドックを歩く事が出来ない程の人気を博したものでした。旧車に限らず、バイク人口が今とは比べ物にならないくらい多かった時代ですから、レースやイベントはどこも大盛況だったのです。

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シングルバイクのレースも各地で開催され、いよいよ1983年1月15日にタイムトンネル同様、筑波サーキットで『第1回 バトル・オブ・ザ・ツイン』が開催されるに至ったのです。しかし残念な事に、記念すべき第1回にはトライアンフの納車が間に合わないとバイク屋さんに言われ、エントリーを断念したのでした。実際の納車は1982年の暮れだったので、レースにはかろうじて間に合ってはいたのですが、さすがに納車1ヵ月もしないバイクでレースに出るのもいかがなものでしょう…。なのでワタシのバトル元年は翌年の1984年からとなるわけです。

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という事で、次回は第2回バトル・オブ・ザ・ツインへの初参戦の模様をお話しさせて頂きます。では良いお年を!そしてハッピーニューイヤー!

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