VIRGIN TRIUMPH | 予定通りにいかないからこそ旅なのだ 山田健さんのコラム

予定通りにいかないからこそ旅なのだ

  • 掲載日/2015年07月24日
  • 写真・文/山田 健

旅にトラブルはつきもの。それをどう乗り越えるか。

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いくつかの木製の橋がある。なかなか日本では味わえないことが続く。
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木製の橋には、たまに穴が開いている。

旅に出れば、すべてが予定通りとはいかない。予定通りにいかないからこそ旅なのだ。今回は、ロシアで遭ったトラブルについて紹介しようと思う。トラブルと言っても、自分が要因のもの、自分とそれ以外に要因があるもの、自分以外に要因があるもの、がある。今回のトラブルは、恥ずかしながらすべて自分が要因だった。

旅のルート(イメージ図)

2014年の旅では、日本からロシアへ渡り、ユーラシア大陸を横断してきた。図の赤いポイントがクラッシュしたポイントだ。そう、2回も大きなクラッシュをしてしまった。そのまま旅を続けられたのが、今でも不思議なくらいだ。ちなみに日本では、10年以上バイクに乗っていてクラッシュや事故は1度も無い。

1回目のクラッシュは大陸上陸初日。油断は禁物。

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大陸最初のカフェで休憩

サハリンからフェリーに乗り、初めてユーラシア大陸に上陸した日のこと。船の上から見た朝陽は普段見る朝陽とは違い、冒険の始まりであり、希望に満ちた太陽だったのを覚えている。フェリーを降り、オフィスで手続きした後、いくつかのゲートを通ってようやく、自由に走ることができる。「ようやく始まるんだ」と思い、気分はワクワクした高揚感しかなかった。

ワニノという場所からリドガという街まで300kmほどある。そのうち半分が工事中だったり、未舗装路になっている。未舗装路と言っても、砂利が深かったり泥でぐちゃぐちゃというわけではない。日本でこんなに長い距離の未舗装路を走ったことはない。正直楽しかった。

たまたま同じ船で渡る日本人ライダーの「ひろゆき」と一緒に走っていた。北海道を広くしたようなところを走る。気分がいい。そんな時にクラッシュした。延々と続くグラベルを、ヘルメットにマウントしたカメラで撮影しながら走っていた。ひろゆきが前を走っていたので撮影しようと思い、追い越そうとスピードを上げながら車線変更した時だ。砂利が深くなっていたのか、油断していたのだろう、その後は記憶がない。20分ほど意識が無かったらしい。

ヘッドライトは吹っ飛び、メーター関係もすべて吹っ飛んだ。壊れ方を見ると、バイクは1回転したかもしれない。しかも記憶喪失になった。ひろゆきがいなかったら、日本にいた記憶がもどることはなかったかもしれない。ロシア人として生きていたかもしれない。「Who am I? なんでここにいるの?」こんな感じだった。ひろゆきが日本語で話しかけてくれて、徐々に記憶が戻った。

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最初のクラッシュ。正直かなりへこんだ…。

あきらめない気持ちと火事場のクソ力

しかしエンジンがかからない。「終わった」と思った。大陸へ上陸して初日にクラッシュ…情けない。日本はまだ近い。一瞬「戻って出直しだ」とも考えた。記憶もあいまいで身体も痛い。そんな中、近くにいたロシア人とひろゆきが荷物を集めてくれた。散乱したパーツを少しずつ組み立て、メーター周りのコンピューターをつけたとき、ようやくエンジンがかかった。助かった。なんとか旅が続けられた。あきらめない気持ちが次に繋がったのだ。トラブルがあるときは、不思議といつもより頭が働くし、力も出る。何とかしないとそこで終わるから、底力を発揮できる。自分の能力は、思っている以上にあるのだ。

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メーター周りの応急処置。テープでぐるぐる巻きに。
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割れたメーター。
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車体を応急処置して出発。手首が痛いのでこちらもテーピングでぐるぐる巻きに。

トラブルは、マイナスだけではない。

旅が続けられる程度のトラブルだったのは運が良かった。周りに人がいてくれたことも場所も良かった。旅が終わったとしても、貴重な経験になる。マイナスになることはない。

ハバロフスクまで移動し、体が痛いので病院を探した。ただ、ロシア語も分からず見つからない。ハバロフスクには日本センターなるものがあったので訪ねてみた。そこには日本語を話すロシア人がいた。保険会社に電話してもらい、病院の場所を教えてもらった。ロシア語が分からないので「症状と、レントゲン、診断書をお願いします」と、ロシア語で書いてもらった。更にバイク屋まで教えてもらった。

病院で診てもらうと、幸い骨折ではなかった。次の日、教えてもらったバイク屋を探すが見つからない。道路で停まっていたらロシア人に声をかけられた。ジェスチャーで「俺もバイク乗りだ」と言っている。仕事中なのかトラックに乗っていた。「仕事中だから待ってろ」と言う。しばらく待っていると本当に戻ってきた。「着いて来い」と言うので行ってみると、そこはハバロフスクのモーターサイクルクラブ(MCC)だった。一緒にお茶を飲んだり休んでいるが、バイクが修理出来る気配は無い。

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ハバロフスクのMCCでは、なぜか日本語も。日本がまだ近いということ感じさせる。

そろそろ行くと言ったら、ガレージにバイクを入れてくれて、応急処置と修理をしてくれた。その後も色んなバイク乗りがやって来ては、修理を手伝ってくれた。ロシア人の真の優しさに触れることが出来た。もしトラブルが無かったらそのままスルーしていたし、この優しさに触れる事はなかった。旅の思い出がここまで心に残るものにはならなかっただろう。トラブルを乗り越えてこその出会いや経験は、かけがえの無いものになる。

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ハバロフスクのMCCで応急処置。ゆがんだタンクを調整する。
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応急処置に手を貸してくれたみんなと。
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応急処置の翌日、ウォッカを持ってお礼に行き、泊めさせてもらう。夜中には前の日にここのMCCを紹介してくれた方とまさかの再会。

2回目のクラッシュは雨の日。またもや助け舟が…。

シベリアを走っているときに、何日か雨が続いていた。80km/h程度の巡航で、前のトラックが巻き上げる水しぶきで前が見えないほどだった。視界も悪いし、距離が稼げない。追い越しをかけた時、轍のあるフラットではないアスファルトの路面と、コールタールが塗られたようなスリッピーな路面、荷物のバランスもあってかフロントが滑り出した。

100km/hくらいだろうか。転がりながら「終わった…」と思った。ようやく止まったとき、意識があった。試しに目をきょろきょろさせてみる。見える、生きている、ラッキーだった。

雨の中、散乱したパーツや荷物を集めて何とか動いた。後から分かったことだが、肋骨が折れていた。バイクと自分は道路の外まで滑っていたが、運よくガードレールが途切れているところまで滑ってくれた。本当に運が良い。ここでもロシア人のバイク乗りに助けてもらった。反対方向に行くと言う「サーシャ」が、バイクの状況を見て停まってくれた。一緒に散乱したものを探してくれたり、一番近い宿も紹介してくれた。

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ケメロボのバイクポストでも応急処置。ミラーの溶接、ブレーキパッドの交換(合うように切断して作ってくれた)など。ここに行ったとき、刺青だらけの上半身裸のロシア人が3人いた。一見怖いがとても親切で、ただで2泊もさせてもらった。
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こんなタイガー、見たことがない…

2回目のクラッシュで助けてくれた、サーシャの言葉が今でも心に残っている。

「ロシアでは、バイカーはひとつのファミリーのようなものだ」と。

2回も大きなクラッシュをしても再び走り出す、タイガー800XCは本当に丈夫だ。トライアンフのウェアとバイクの頑丈さを身をもって証明出来たと思う。

最後に、この場をお借りして、すべての出会った人、サポートしてくれた人に感謝の意を表します。

「ありがとう」

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トライアンフ エカテリンブルグで修理。パーツの取り寄せが間に合わなかったため、展示しているタイガーのパーツを移植してくれた。これでようやく元の形に。

次回も、旅で見たこと、感じたことをご紹介します。お楽しみに。

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