VIRGIN TRIUMPH | T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.10 小沢 和之さんのコラム

T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.10

  • 掲載日/2015年07月10日
  • 写真・文/小沢 和之(ライター)

1983年1月15日に開催された第1回『バトル・オブ・ザ・ツイン』は、アメリカで行われていたツインバイクレースをお手本にしたクラスに加え、当時盛んだったシングルエンジン搭載車(ヤマハSRなど)のクラスをドッキングさせた、ツイン&シングルの祭典です。

その第1回開催への出場を断念したお話は前回までのとおりで、結局1年の準備期間を経て第2回開催で念願のレーサーデビューを果たす事が出来たのです。

小沢和之さんのコラム画像

まぁ準備期間と言ってもバイクはナンバー付きの公道仕様のままなので、車体への改造はほぼ皆無。US仕様のアップハンをUK仕様のコンチハンにして、マフラーを昔のトライアンフスタイルのモノに交換(通称キャブトンマフラー)、あと、当時文京区にあった『モトサロン』でシングルシートを製作してもらった程度で、要するに「ど」ノーマル状態でレースに参戦したわけです。

ちなみにあの頃のレース(バトルしか知りませんが)は、今とは比較にならないくらいユルユルなレギュレーションで、車体へのワイヤリングなんて、オイルのドレンボルト1ヶ所のみだったと記憶しています。ヘルメットもフルフェイスなら何でもO.K.みたいな時代。おおらかと言えば聞こえはいいけど、安全面への関心度が低かったのかな?。

逆に言えば、個々がしっかりと理解していれば、今よりも間口がグ?ンと広く、誰もがレースにエントリー出来る時代だったのかもしれません。バイク人口が今の10倍くらいあって、周囲にバイク乗りがたくさんいたあの頃、ネットは無いけどダイレクトに情報が入って来たから、すぐに行動に移せたような気がする。

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雑誌の記事や広告も、ネットありきじゃないからより詳しく出ていたし、「あとはウェブで」も無いから、さらに知りたいことは電話をかけて聞く。直接人と話をすればこちらの熱意も相手に伝わる。アナログで鬱陶しいかもしれないけど、実はこの方が事が速く進む場合もある。

やたらと丁寧なメールを介して顔の見えないやり取りよりも、相手の顔を見て話をすれば、何より安心できる。でも勘違いしないで下さいね。今から30年も前の話だから、選択肢がこれしかなかったワケで、今をまるっきり否定しているということではありません。ネットで調べてより多くの情報の中から自分に合ったものを見つけ、手間を省いて決めウチするのもいいと思います。現に、ワタシだっていろんな事をネット検索しています。

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ただ、やはりそこで最終判断を下すのではなく、先ずは電話をかけて相手の声を聞き、可能な限り会いに行って直接会話する事を心がけています。これまで「今から行っていいですか?」を何回言った事か(笑)。けどここからスタートするワクワクドキドキがその後に繋がって行くような気がするのは、やっぱアナログ感が抜け切らない昭和人間の性なのかな?。

そう言えば、モトサロンにお願いして作ったシートも受け取りはお店ではなく製作工場に行って、作ってくれた方から直接手渡してもらった。「あ?この工場でこの方が作ってくれたんだ?」と思うと感慨もひとしおってもんですよ。もちろんいつもそうしているワケじゃないけど、状況が許す限りイスに座って事を進めるんじゃなくて、席を立って行動する楽しさもたくさんある。

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すぐ話が横道にそれちゃいますが、T140ボンネのカスタムはその程度で本気度はほどほど、その1日が楽しめればいいって考えだから、レース翌日にはナンバー付けて通勤。その気軽さがワタシの中では大事だったんですよね。それじゃ勝てっこないんだけど、それでもいいのです。本業はサラリーマン、土曜1日かけて徐々にレーサーに変身して日曜を楽しみ、月曜には元のサラリーマンに戻って会社に出勤。そうなのです、ワタシにとってバイクは趣味ですから、これでいいのです。

な?んて思っていたのは1980年代初頭の話。一度レースに出てみたらドンケツ争いをしていてもこんなに楽しめる世界が存在していたなんて、って思いが一気に開花して、遅くたってまだまだここにいたい、って気持ちがどんどん大きくなってしまったのです。もちろん月曜には会社に行くわけですが、すでに来年のレースに向けて気持ちは進行。あ?、今思えば抜け出せない迷宮にハマったのがこの第2回バトルだったんだな?。

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…なんて回想しつつ、話は次回に続きます。

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