VIRGIN TRIUMPH | 1880-1940年代 Vol.04 トライアンフ ヒストリー

1880-1940年代 Vol.04

エドワード・ターナーと
トライアンフの躍進

トライアンフの改革と立て直しを行っていたサングスターは、アリエルでチーフデザイナーを務めていたエドワード・ターナーを迎え入れる。

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エドワード・ターナー

ターナーは開発におけるチーフデザイナーと、経営におけるゼネラルマネージャーを兼任することになった。彼と入れ替わるように、ヴァル・ペイジは『BSA』(Birmingham Small Arms Company:バーミンガム・スモール・アームズ・カンパニー)へ移籍した。

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タイガー80(350cc)

ターナーはヴァル・ペイジが開発したモデルをベースに、新しいモデルを開発する。OHVエンジンを搭載した3つのニューモデルは『タイガー』と名付けられ『タイガー70』(250cc)、『タイガー80』(350cc)、『タイガー90』(500cc)と、それぞれの最高速度を示す70マイル、80マイル、90マイルの数字で分類された。タイガーシリーズは性能だけでなく、クロームを使った部品を多用するなど、ルックス面でも好評価を受け人気車種となった。

サングスターと共にターナーは経営改革にも熱心に取り組み、会社システム改良やコスト削減を行って合理化を進めた。そうしてトライアンフは、徐々に業績を回復させていく。

大ヒットモデルとなった
『スピードツイン』登場

ターナーが生み出したモデルの中でも、傑作と言われているのが1938年型の『スピードツイン』だ。彼はニューモデルの開発と生産をトライアンフが無理なく行えるよう、それまでに作られたモデルを参考にこのモデルを生み出している。

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スピードツイン(1938)

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スピードツインエンジン

エンジンは1935年のOHV単気筒『モデル2/1』と同じボアとストロークで2気筒化。同じく『モデル6/1』で使われていた360度クランクを採用している。500ccの排気量でバーチカルツインとなったエンジンは、最高出力28.5psを記録。軽量化も行われ、同じ排気量で単気筒エンジンのタイガー90より2kgの減量に成功している。最高速度は150km/hをマークし、スピードツインは業界とユーザーへ大きなインパクトを与えた。

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スピードツイン生産ライン

ターナーはスピードツインを製造するラインを新たに作らず、従来の工場設備で生産できるように設計しており、生産コストと価格を抑え、タイガー90より高性能でありながら、わずか5ポンド高価な75ポンドで発売した。

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タイガー100(1939)

スピードツインをベースに、さらに高出力化したモデル『タイガー100』も、翌1939年に発売されている。最高速度100マイル(160km/h)の市販車は大きな話題となる。タイガーシリーズとスピードツインの販売は非常に好調で、注文に応じるために生産ラインはフル稼働。トライアンフの業績はめきめきと改善する。スピードツインは、後のトライアンフにおけるモーターサイクル作りのスタンダードになっただけでなく、国内外のメーカーにも大きな影響を与えていた。

第2次世界大戦と
メリデン工場への移転

第1次世界大戦から20年、ヨーロッパではナチスドイツが台頭し、再び不穏な空気に包まれていた。そして1939年、第2次世界大戦が勃発し、イギリス軍は再びトライアンフに軍用車の納入を要請してきた。すでに完成していた車両はすべて軍へ回され、民間用モーターサイクルは生産を停止。350ccエンジンのモーターサイクルはすべて軍用となった。

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3TW(1940)

軍用モデル『3TW』は市販車の『3T』をベースにしたもので、350ccのエンジンを軽量のフレームに搭載。ガーダーフォークやライト用オルタネーターを備えていた。軍用規格をパスし、本格的な生産に取りかかったトライアンフは、1940年にはフランス軍用のサイドバルブエンジンを搭載する軍用車を生産。トライアンフの工場では、モーターサイクルだけでなく、軍用機や戦車用の部品も製造が始まっていた。

しかしトライアンフの工場があったコベントリーは、イギリスの重要な工業地帯のひとつとして知られ、兵器を生産する工場が多数あった。そのため、コベントリーがドイツ空軍による戦略爆撃の目標となるのも当然だった。

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1940年11月4日の空襲によってコベントリー一帯は破壊され、トライアンフの工場も壊滅的な被害を受けた。すべての生産が不可能に陥った。

政府からの援助もあり、同社は近くの古い工場を借りてすぐに生産を再開している。しかしここでは、以前のように効率よく生産することができず、トライアンフは新しい工場を建設する必要に迫られていた。コベントリーに工場を再建しても再び爆撃目標になってしまうので、政府はこの地での再建を認めなかった。

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メリデン工場(1942)

トライアンフが新工場の建設地に定めたのは、ウエストミッドランズにある“メリデン”という小さな村の近くであった。新工場は急ピッチで建設され、1942年3月から生産を再開している。そしてOHVエンジンのスピードツインをサイドバルブ化した500ccの『5TW』、350cc単気筒サイドバルブエンジンの『3SW』、OHVエンジンの『3HW』の軍用車を生産。

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3HW(1942)

大戦終結までに生産された軍用車は、4万9,700台に上ったのである。

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