VIRGIN TRIUMPH | 6-19 トライアンフの最高速チャレンジ 立花 啓毅さんのコラム

6-19 トライアンフの最高速チャレンジ

  • 掲載日/2018年07月06日
  • 写真・文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)

立花啓毅さんのコラムの画像

「世界最速のインディアン」(6-17章)のバート・マンローのようにソルトレイク・ボンネビルで最高速に挑む男は非常に多い。私の友人もここでのチャレンジを夢見て、一緒にマシンを作って出よう!!!と誘惑してくる男がいる。このボンネビルへの挑戦は、男のロマンでもある。

ボンネビル・チャレンジは偉大なる草レースと言われるだけあり、個人でも参加しやすいよう多くのクラスが設定されている。毎年8月のレースウィークになると世界中から参戦者が集う。主催者側もボランティアが多く、アットホームな雰囲気なため素人でも気楽に挑戦できる。とは言ってもチャレンジ用のマシンを作って、日本から参戦するのは大変なことだ。

一方、そういった個人に対して、潤沢な予算を組んで挑戦するファクトリーもある。その代表例が今回ご紹介するトライアンフだ。そもそもトライアンフのモデルに「ボンネビル」が命名されているのは、トライアンフとソレトレイク・ボンネビルの関りが深いからだ。

1956年にテキサス生まれのレーサー、ジョニー・アレンが「タイガー110」の650ccエンジンをツインキャブにし、空気抵抗の少ないストリームライナー「Texas Cee-Gar」に搭載して、345km/hの記録を樹立した。この「Texas Cee-Gar」の偉業を称え、1959年にデビューしたのが「T120ボンネビル」だ。「T」はタイガーのことで、「120」は最高速が120mph(193km/h)出ることを示し、世界最速の市販車と謳われた。因みにジャガーも車名にXK120、140、150とあるのは、同じく最高速を示し如何に速いかを誇示していた。

立花啓毅さんのコラムの画像

この「T120ボンネビル」は、米国を中心に世界中で売れまくり、トライアンフ社のみならず英国経済をも潤すほどとなった。当時、貧乏学生だった私もこの「T120ボンネビル」を何とか手に入れ乗り回していたが、群を抜いた速さはハンパでなかった。当時の白バイは、メグロ(K1)と陸王だったが、全く寄せ付けないほど速い。しかも速いだけでなく官能的なピックアップは、多くの人を痺れさせた。

1960年代に入ると、このボンネのエンジンを2基搭載した「ジャイロノート X-1」が395.363 km/hの新記録を打ち立てた。トライアンフの記録は、通算すると、1955年から1970年までの間、たった33日間を除き、トライアンフをパワーソースとしたマシンが世界最速を誇っていたのだ。

トライアンフ社は、この伝説を復活させるべく、2016年にトライアンフ・ロケットⅢエンジンをターボで過給し、それを2基搭載。なんと1000馬力以上を発生するという。燃料はもちろんメタノール。それをカーボンケブラーモノコックのストリームライナーに搭載した。まさに2輪のロケットだ。ボディは空気抵抗を最小限に抑えるため全長は25.5フィート(7.77m)、幅2フィート(0.61m)、高さ3フィート(0.91m)とかなり細長く美しい。エントリーは、C部門(ストリームライン・モーターサイクル)カテゴリー。

立花啓毅さんのコラムの画像

目標は今までの記録376.363mph(605.57km/h)を超すことだ。最高速は単純にエンジンの出力と空気抵抗で決まるためマシンの製作者側も非常にシンプルで、中心人物は3人。まずエンジンのパワーアップを担当するのはボブ・カーペンター。彼はすでに後輪で240馬力を発生するトライアンフ・ロケットⅢを市販し、街乗り仕様にもかかわらず0-400mで8.99秒をマーク。またソルトフラッツでの経験も豊富である。

次に空力エンジニアリングを担当するのがマット・マークストーラーだ。世界最高速に挑むには空力でも世界のトップでなければならない。また彼はサスペンションにも長けている。

立花啓毅さんのコラムの画像

3人目がライダーのガイ・マーチンだ。彼をご存じの方は多いと思うが、トライアンフ・デイトナ675Rを駆り、マン島TTのトップライダーとして常に表彰台に上がる人物。しかもメカにも詳しいため頼もしい存在。この3人は、まさに今回のチャレンジを展開するにふさわしい人物である。

ソルトレイクは天然の塩路面のためコンディションが安定せず、3年間も中止されやっと2016年に再開した。しかしこの時も路面は安定せず、その中で出した記録は441.282km/h。残念ながら目標の605.57km/hには遠く及ばなかった。何回かトライするうちウェットパッチで後輪が滑り転倒。幸いガイ・マーチンに怪我はなかったが、マシンの修復が必要となった。

翌2017年は順調に調整を進めていたが、直前からの雨が長引き、路面は一面、水たまりとなり挑戦をあきらめざるをえなかった。天然路面のため、なかなかベストな条件が整わず、そういった中で1000馬力のモンスターで600km/hを超そうというのだから危険極まりないチャレンジである。そして、いよいよ今年、三度目の正直となって世界記録が樹立できるのか!世界中が注目している。まだ現地から新しい情報が入っていないが、入り次第お知らせしたい。

◇ソルトレイク・ボンネビルの最高速チャレンジは米国ユタ州ソルトイク市で毎年8月に行われる。正式名は「Bonneville Salt Flats International Speedway」

バイク買取&乗り換えガイド