VIRGIN TRIUMPH | 3-1 トライアンフTTレーサー 立花 啓毅さんのコラム

3-1 トライアンフTTレーサー

  • 掲載日/2015年06月05日
  • 文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)

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イギリスを訪れると、得も言えぬ心地良さを感じる。彼らは古いものを大切し、それが生活に潤いを与えているからだと思う。

以前、ある家庭の夕食に招かれた。ご主人は40歳後半の会社員で、奥さんと子供の3人暮らし。部屋に案内されると、床も家具も無垢材で作られ、そこにアンティークの調度品が収まっている。テーブルには小さな花が飾られ、すでにナイフやフォークが綺麗に並べられていた。

まずは食前酒で乾杯。奥さんは手際よくサラダを盛りつけ、続けて英国らしいローストビーフを出してくれた。片言の英語で会話しながら、次にメインが出てくるだろうと期待していたが…それで終わってしまった。ご招待を受けたのでご馳走が振舞われるだろうと思っていたが、肩透かしをくらったかのようだった。

後に現地の日本人に聞くと、これが当たり前だと言う。さらに彼らは、朝食はパンと冷たい牛乳だけで、電気代がもったいないからトーストにもしないそうだ。我々から見るとかなり質素だが、夕食時のご主人はネクタイを締め、背中をきちんと伸ばしていた。もちろん食事中にテレビを見ることもなく、クラシック音楽が流れていた。

考えてみれば、日本も少し前までは質素な生活で、どこか毅然とした生き方をしていたように思う。そんなことを英国を訪れて感じることができた。

次の日曜日にクルマを流していると、乗用車でトレーラーを引き、クラシックバイクを積んだ軍団とすれ違った。即刻Uターンして後を追うと、町はずれの小さな飛行場でレースが行われていた。戦前のバイクが多く、どれもハンパでないコンディションだ。バルブスプリング剥き出しの初期トライアンフや27年前後の『TTレーサー』も集まっていた。

英国を代表するこれらのトライアンフは、じつはドイツ人によって生み出されたことはご存知だろうか。面白いのは最も英国車らしいベロセットも、ドイツ人が起業したメーカーだった。

19世紀の英国は、世界の4分の1を支配し、さらに産業革命によって華やかで活気に満ちていた。まさに1950年代のアメリカンドリームのように、当時のイギリスには夢があり、成功を夢見て世界中から人が集まったと言う。トライアンフの創始者ジークフリード・ベットマンも他の若者と同様、そんな大英帝国に憧れ、渡英した。

そこでは自転車が先進的な乗り物として一大ブームが起きつつあった。ベットマンはそこに注目し、会社を設立して『ベットマン・サイクル』を販売(1885年)。しかし経営は芳しくなかった。そこで商品名を『Triumph』(勝利)に変え、コベントリーで自社ブランドを生産。これが功を奏し、折からの自転車ブームに乗って大成功を収めた。

それから10年が経ち20世紀に差し掛かろうとする頃、自転車にちっぽけなエンジンを付けたものが各地でパタパタと走り始めた。トライアンフもベルギーのミネルバのエンジンを取り付けて発売を開始(1902年)した。しかし成功するには独自のエンジンとフレームが不可欠であることを知った。そこで生まれたのがエンジンを中央に置いたクレードル型フレームだ。

第1回のマン島TTレース(1907年)が開催されると、ベットマンは2台のマシンをエントリー。当時は単気筒と2気筒のクラスしかなく、エントリー台数はそれぞれ17台と8台だった。レースは一般道を閉鎖した25.5kmを10周するもので、結果はマチレスが1位、トライアンフは2位と3位。

第2回にはその雪辱を晴らすべく、再設計した500ccの3.5馬力エンジンで見事優勝を勝ち取った。同時に3、4、5、7、10位をも勝ち取り、人々に信頼性の高さを見せつけた。その結果、販売台数は市場シェア10%の1,000台が一挙に3,000台に達した。

また高性能なワークスマシンを入手したいという要望に応え、500ccのTTレーサーを発売。腕に自信のある若者はこれに跨り、各地でレースを繰り広げた。

写真は『タイムトンネル』の主催者である吉村国彦氏が所有していた1927年の『TTフォースマン・レプリカ』だ。

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吉村国彦氏の1927年の『TTフォースマン・レプリカ』。自転車のようなフレームにも関わらず、最高速は144km/hを記録した。

エンジンは超ロングストロークの80×99mmで排気量は498cc。当時はエキゾーストバルブの方が大きく、単気筒でも太いエキゾーストパイプを2本出し、なかなか格好いい。ミッションは3速。ホイールはフロントが20、リアは19インチだった。

99mmというロングストロークも当時としては一般的な値で、ノートンは長い間100mmを固守していた。レーサーのマンクスでさえ、晩年勝ち目がなくなってからショートストローク化に踏み切り、ボア×ストロークを3回も変えてパワーアップを試みた。

名車はレースと共に成長すると言われているが、トライアンフはまさにマン島TTレースと共にあった。創成期のものはサスペンションも無く、お粗末なブレーキとタイヤを履き、バルブスプリングは剥き出しで、オイルにまみれながら公道で競い合った。ライダーには強靭な肉体と不屈の精神が求められ、まさに命がけだった。

当時のものが格好よく映るのは、市場調査などせず“モノを作る本能”と、それがいかに速いかを競う“競争する本能”が剥き出しだったからだろう。特にレーサーともなると、作り手の“魂”そのものが息づき、それが今も伝わってくる。トライアンフTTレーサーはその代表例である。

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